Greeting 皆様へのご挨拶
一児の父・責任世代。ともに悩み、ともに生きる県づくりを進めます。
皆様にお支えいただき、神奈川県議会議員として2期8年を経て新たに3期目へ。これまで以上の期待の大きさ、そして責任を肌身で感じます。ご期待に応えるため、3期目も粉骨砕身取り組んで参ります。
Profile 武田翔プロフィール
所属 | |
---|---|
委員会 | |
誕生日 | 1981年(昭和56年)12月10日 |
出生地 | 神奈川県横須賀市 |
現住所 | 神奈川県横浜市港北区 |
出身校 | カリフォルニア州立大学(アメリカ) |
初当選 | 2015年(平成27年)統一地方選挙 |
---|---|
前職歴 | 参議院議員佐藤正久 公設秘書 |
資格等 | ・令和3年度宅地建物取引士資格試験合格 ・簿記検定試験2級 ・ユニバーサルマナー3級 ・港北消防団小型ポンプ操法優秀賞 ・上級救命講習修了 ・AWS Certified Cloud Practitioner(Amazon認定資格) ・車両系建設機械(整地等・解体用)運転技能講習終了 |
History これまでの歩み
1981年 | 12月10日、神奈川県横須賀市に生まれる。 父は海上自衛隊航空部隊に所属し、私が生まれたときには任務飛行中でした。父の任務(=飛翔)に由来して、翔と命名されました。 |
---|---|
1988年 | 茅ケ崎市立松浪小学校に入学。 小学校低学年のときは、模範的な優等生でしたが高学年で反抗期に突入。 その頃にGTO(Great Teacher Onizuka)のような恩師に出逢い、今の私があります。 どんな時でも生徒を見捨てず、私を大きく成長させてくれた恩師には、今も感謝の気持ちで一杯です。 |
1993年 | 茅ケ崎市立松浪中学校に入学。 当時は漫画「スラムダンク」が大流行。 私も例にもれず、バスケットボール部に入りました。 部活動ではいい汗を流しつつ、勉強では冷や汗をかいていました。 |
1994年 | 福岡市立百道中学校へ転入。 父の転勤を機に、一家で福岡へ移住しました。 転校すると人生が変わります。標準語を使うといじられたり、博多弁に慣れるのに大変でした。 男子は男子らしく、そんな「九州男児」という言葉を強く意識しました。 |
1997年 | 福岡大学附属大濠高等学校に入学。 「質実剛健」を体現していた高校で、1学年あたり55人×17クラスの男子校でした。 お陰様で、私は一生、共学制の高校に憧れを抱く人生を歩むこととなりました。 現在は共学になり、昔の面影は感じられませんが、当時の体育と音楽の先生は恐かったです。 私の高校時代、国内では不景気が続き、社会全体が閉塞感に包まれていました。 そこで、躍動感にあふれ超経済大国でもあるアメリカへの進学を決意しました。 |
2000年 | 多くの友人・知人が日本人としてのアイデンティティを探しているように感じました。 私自身も渡米直後、やはり日本人としてのアイデンティティについて疑問を抱くようになりました。 日本人ではあるものの、自国の伝統や文化について、知らないことがあまりにも多すぎる。 そう感じると同時に、この問題を解決できる手段は「教育」しかないと確信しました。 さらに、「教育」をより良くするためには政治の力しかないと思い、政治の世界に進みたいと考えるようになりました。 |
2002年 | 四年制大学は、これでもかというほどの「つめこみ教育」でした。 宿題や毎回のプレゼンテーションでは、授業で学んだ基本以外にも、さらなる工夫や応用が常に求められました。 学期中は毎日、大学の図書館に通って勉強をしていました。 |
2006年 | カリフォルニア州立大学を卒業後、帰国。 私が政治家を目指したのは在学中、友人に連れられてロサンゼルス近郊にある地域を訪れたことがきっかけです。 そこはアフリカ系アメリカ人のルーツであるアフリカ大陸の伝統・文化等を大切にしている地域でした。 当時、私はアフリカ系アメリカ人に対して、あまり良い印象を持っていませんでした。しかし、その地域の人々と出会ったことにより、私のある考えが確信へと変わりました。 自分のルーツであるアフリカの伝統や文化を大切にしている人々は、アフリカ系アメリカ人としての自信と誇りに満ち溢れていました。 みずからのルーツを深く学ぶことにより、また学べば学ぶほど、自信と誇りは強くなると確信しました。 |
2007年 | 参議院議員・佐藤正久事務所に奉職(私設を経て公設秘書)。 佐藤事務所では選挙前からボランティアスタッフとして初当選をサポート。 多くの方々のご支援をいただき、政治の道の第一歩を踏み出しました。 事務所ではお茶の出し方からはじまり、政治の世界の義理と人情、人の機微など多くのことを学びました。 |
2013年 | 佐藤正久議員が参議院2期目の再選を果したことで、自分の夢に向かいたいと決意。 同年末、長らくお世話になった佐藤事務所を退職致しました。 |
2014年 | 尾崎行雄記念財団・咢堂塾に第16期生として入塾。 神奈川県が輩出した憲政の父・咢堂(がくどう)こと尾崎行雄の政治理念と、地方政治の課題について徹底的に学びました。 (研究テーマ:国政と地方自治の相克について)
|
2015年 | 自由民主党神奈川県支部連合会・遊説局次長を経て、4月12日、神奈川県議会議員選挙において16,999票のご支持をいただき初当選。
|
2019年 | 4年ぶりの神奈川県議会議員選挙において24,707票のご支持をいただき2期目当選。 |
2023年 | 28,802票のご支持をいただき、3期目当選。神奈川県議会議員(3期目)として新たなスタートを切りました。子育て責任世代の一員として、また生活者の視点を忘れずに県政へ邁進します。 |
|
|